「泳げない」にはもっと深い意味がある

 前回、泳げなくてもダイビングをすることはできる、というお話をさせていただいた。

 もっと細かく言えば、ダイビングを始めることはできる、といった方が正確かもしれない。
 ダイビングを始めて、いろいろなポイントに行っていろいろな体験をするためには、やはり技術の向上は必要だからだ。
 もちろん、泳力だけではなくて中性浮力であったり、呼吸の仕方であったり…ダイビングにかかわるスキル全体に言えることで、ただ泳げるようにだけなればよいということではもちろんない。
 しかしこの件は、泳げなくてもダイビングを始めることができるのか、という今回のテーマとは反対の方向なのでまた日を改めてお話しすることにしよう。

 さて、

泳げない≠ダイビングができない

 泳げないからダイビングができないわけではない、ということを理解していただいたという前提に立ったとしても、ダイビングをしようというのには実際には結構な勇気と、勢いがいるのはなぜなんだろうか。

 そもそも、泳げないという人がなぜ泳げませんというのかといえば、

  • 息継ぎができない
  • 沈む
  • 足がつかない
  • 鼻に水が入ると痛い
  • 溺れたら死んじゃう

 大体このような感じだ。
 できない理由はいろいろあるが、足がつかないとか、泳ぐんだから足つかなくても関係ないじゃんと思うのだが、ここでは大いに関係がある。
 あ、あとそういえば相方が言ってたのが…

  •  化粧が落ちる
  •  泳ごうと思ったことがない

 うーむ、これは気持ちや技術では克服のしようがないかもしれない。
 眉毛に入れ墨でも入れるか?
 化粧しなくてもいい顔にする…いや、化粧は落ちる。
 落ちない化粧をする…マッキーで書くか。
 いや、発想が舞台屋すぎる。

 いやいやまて、そもそもそうじゃない(笑)
 化粧が落ちるというのは、ダイビングをしない理由としては却下だ。
 化粧なぞ無駄だ。(注1)
 海を汚すだけだ。(注2)
 (注1:無駄じゃないのは重々承知しておりますm(_ _)m)
 (注2:海に優しい日焼け止めもあります)

 泳ごうと思ったことがない…泳ごうと思ったことがない…
 なぜダイビング始めた(笑)→気になる人はこちら(笑)

 化粧に関しては、そもそもすっぴんでダイビングをする女性は美しいのだから化粧なんかなくてもいいのにと、個人的には思う。まぁ、こちら側からの意見ではあるけれど。

 さておき。
 上にあげたこれら泳げない理由、すべてそのあとに「…から怖い」を付けるとつじつまが合う。つまり「水が怖い」からということだ。怖い人は洗面器に顔を付けるのだって怖いはずだ。

泳げないのは、物理的でなく精神的な原因

 だとすれば、いくら息継ぎの必要ないですよ、沈んでもBCつけてるから浮きますよ、と口で説明しところで、泳げませんという人が納得できるとは思えない。だからダイビングもできません、というのは、ごく自然なことなのだ。

水に対する恐怖という意味でダイビングと泳ぐことを同列においている

 からだ。
 結局のところ水の中にはいるのが怖い、ということで、「私泳げません=私ダイビングできません」は、おおむね成立するということになる。
 泳げない人=水の中に入るのが怖い人は、息継ぎができないのも怖いし、足がつかないのも怖いし、化粧が落ちるのなんてもう絶対経験したくないんだろう。

 しかしそんな人でも水を飲むことはあるだろうし、お風呂にだって入る。泳げないからお風呂に入りませんという人はそうそういないはずだ。
 つまり水が、自分の制御下になくなることが、怖いだけなのだ。

 確かに私自身も、ダイビングを始める前、泳げないわけではなかったけれども例えば海で足のつかないところまで行くのはものすごく不安になったものだった。
 それは自然なことだと実際思う。

 しかしここは泳げなくてもダイビングをするためにはどうしたらいいんだということを考える時間だ。
 原因が分かったのだから一番大事なところを考えよう。

泳げない人が、ダイビングを始めるにはどうしたらいいか

 まず一つめ、一般的に言われること。
 お風呂が怖くないなら、自分の足がついて、呼吸ができる状態であれば、水に対して恐怖を覚えることはない、ということなんだろう。
 たとえば、海に行っても波打ち際でぱちゃぱちゃとか、浮き輪に乗っかって浮いてるとか、そういう「安心を感じられる範囲内」であれば、恐怖心はかなり軽減されるということなんだ。

 その安心を感じられる範囲を広げるのが、ウェットスーツであり、水中マスクであり、タンクでありレギュレーターなどの機材だ。
 ウェットスーツは浮力体なので、まずこれだけ着ているなら沈むことはない。
 洗面器に顔を付けるのが怖い人は、マスクをして洗面器に顔を付けてみたらどうだろうか。見えるのは洗面器の底だけど、目をつぶる必要はない。

 とはいえ、浮き輪はなんか安心感あるけどなんかあんなにいっぱい色々つけてたら身動きとれないんじゃないのとか、今一つ初めて使う機材たちに安心感感じろと言われても難しいところだろう。
 もうそりゃ不安しかないはずだ。
 これは今一つ説得力が弱い。

 二つ目に思うことがある。
 ここからは完全に個人的意見になるが、どんな形でもその怖さの壁を乗り越えればよいのであって、その壁を乗り越えるためには、より高い欲求があれば、勢いがつくんではないだろうか。

 たとえばこういうのから入ってみる。

 マスクの前段階として水の中がこんなにクリアに見えるっていうことがわかると、なんか楽しそう、となりはしないだろうか?そこから、マスクを着けて海の中を覗いてみる(マスクを着けて洗面器やお風呂に顔がつけられたあとね)と、だんだんと、楽しさの方が勝ってくるんではなかろうか。

 実際、相方は自身のブログでも書いているが、家族でグアムに行ったのに、最初はずーっと波打ち際と砂浜でぼーっとしていた。
 あまりの手持無沙汰さに、きまぐれでさそったシュノーケル、遠浅の海で深さは膝上くらい。マスクを着けて覗いてみるとそこは別世界。
 その翌日には救命ベストを付けて水深5mくらいのところでぷかぷか浮いてシュノーケリングをしていた。
 そこから一気にダイビングライセンスだ。

 泳げないといっていた相方も、今ではタンクを着けずに海で泳いでいたりする。

 泳げないことも、ダイビングを始められないことも、ほんのちょっとしたきっかけと勢いで、解消されてしまうことなのかもしれない。

 泳げないと思っているのに、それでもダイビングをやってみたいと思ったこと。そう思えたのであれば、美しい海の中の世界を覗いてみたいという気持ちは、きっと泳げない恐怖の壁より高いと信じたい。
 だからこそあえてもう一度言うが、

泳げなくてもダイビングはできるんです。

 ぜひとも恐怖の壁を超える勢いと好奇心でもって海にぽちゃんといっていただきたい。

 いつかどこかの海でご一緒できることを夢見ております。