~軽い気持ちで潜ってはいけない気がしたUSSエモンズ~
さて、前夜の泡盛ディープダイビングから無事にエグジットしてきて、今朝は古宇利港に集合。
(沖縄一人ダイビング旅その2からの続き)
そこにいたのはサングラスをかけぱっと見ちょっとこわもての、名護市でガイドを営む、宮原さんだ。
名護市のダイビングショップ フィールダイブ
前日潜った別のお店のガイドさんから、宮原さんだったらガイド力は圧倒的にあちらの方が上です、楽しんで!
と折り紙を頂いていた。
この日潜るのは古宇利島から USSエモンズ。
この時は私もそれほど重たい認識はなく、普通に深い沈船ダイビングだととらえて、浮かれて港に向かっていた。
港に着くと、上級者向けポイントといわれるだけあって周りにいる別チームがみんなものすごいベテランに見える、よくあることだけど(笑)

梅雨というのがウソのような空のもと、準備を進める。
港からポイントまでは約15分。
前のチームが戻ってきたら入れ替わりで乗船、出航。
ブリーフィング時に、今日は、DECOが出ると思います。というより、出すことになると思います。と言われる。
その時は、なんということなく、ハイ、と、何でもないよそんなこと風を装っていたが、実際はそれがどんなことなのかわかっていなかった。
水深は約40m。船のある所の海底まで行くと50mくらいあるそうだ。
エントリーしたらブイをつかんですぐに潜行、潜行していくと、水深20mくらいから船体が見えてきます。ぐるっと回って10分くらいで浮上を開始します。とのこと。40mの深さだったらそのくらいだろうな、とはなんとなくわかる。
さて、まず1本目。
船尾からエントリーしてそのまま船尾から上がってくるプラン。
風、ほぼなし。
流れ、ほぼなし。
透明度、約25m。
絶好のコンディション。
水深20mくらいから本当に見えてきた。
圧倒的な存在感。

船尾からは、プロペラやソナー、突撃したゼロ戦のエンジンではないかと言われているもの、などがみられるという。


エントリー後約10分。
夢中で写真を撮っていたら、ガイドさんが浮上の合図をしたのでやんわり浮上しつつ未練を残しつつ写真を撮っていたらタンクの背中をぐいとつかまれ、浮上せよとのサイン。
ご、ごめんなさいぃー
そこからロープを伝って一掴みずつ、ゆっくり浮上する。
すでにDECOが3分出ている。
ほかのチームもほぼ同じタイミングで浮上を開始。
全員でそろそろと浮上していく。
私のようなひよっこはロープにしっかりつかまりガイドさんとの距離を一定に保ちつつおとなしく浮上。
こうして上がっていくと、なかなか消えないDECO表示。
そうか、DECO、つまり減圧潜水というやつは普段、何かあったら緊急浮上すればいい状況を、自ら直接浮上できないオーバーヘッド環境に変えてしまうということなんだな。
そんなことを思いながらゆっくり15分かけて水面に顔を出した。
2本目。
今度は程よく流れが出ているという。
エントリーしてブイをつかみに泳ぐが確かにそこそこ流れているが、このくらいの流れならまだそれほどではなかった。
船首から潜り、船体中央から浮上予定。
船首から入ったときは、砲台や、慰霊碑などがメイン。


もうここまでくると、そこにあるオーラに圧倒され、これはただの沈船ととらえてよいものではないことに気が付く。
しかしなぜか2本目は、流れも出ているし条件としては1本目よりも厳しかったはずなのに、1本目ほどの緊張感というか圧を感じることなく落ち着いてゆっくり回っている自分がいたことも不思議だ。
ガイドさんも、2本目はなんだか普通のダイビングをしているみたいな気分だったというから、やはり何かしらの力が働いたのではないだろうか。
2本潜って上がってきたころには、このダイビングポイントが普通のポイントではないこと、ただのダイビングポイントではないことを確信していた。
ここはただの沈船ダイビングスポットではない。第二次大戦の戦跡だ。
だからこそこの一般のダイバーが潜れる最も深いところに鎮座していることにも、意味があるのではないかとさえ思う。
ここに来るのにはたいていの覚悟で来てはいけない気がした。
ガイドさんと、この場所に、心から感謝したい。

さて、そうしてどんよりした気分で上がってきて、3本目は同じく宮原さんとビーチにエントリー。
地味ビーチ(入っても地味だから)なんて、かわいそうな呼ばれ方をしているビーチに潜ってマクロ三昧。





ああ、なんだか安心する(笑)
この整理体操がなかったら、どんよりしっぱなしでとてもじゃないがこの日も泡盛にエントリーなんてできなかったんではないだろうか。
さて、この翌日はいよいよ帰京の日。タンクはしょえない。
リゾート気分で水納島に行ってみることにした。
これがまた大当たりだったのだ!
つづく。
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